こんにちは、BISです。
ご無沙汰です。
突然ですが、自分が一番大切にしているものが突然なくなってしまったら、あなたはどうしますか。
それが唯一のあなたにとっての拠り所だったとしたらどうでしょうか。
あるドラマの中で主人公が言っていました。
拠り所が一つだといそれを失った時、人は路頭に迷うことになると。
このドラマを観ていたご主人は大変感慨深い気持ちになったようです。
定年、リタイアした今「俺が好きなことって何だ?」「仕事か? いいや違う、それにもうリタイアしているし。」などと独り言を言っていました。
そしてこのドラマでは次のことを強調していました。
拠り所は一つではだめ、複数持つことで、一つが無くなっても他の拠り所が生きる糧に成るのだと。
仕事がなくなったら
それまで、趣味なし、道楽なしで一生懸命仕事に打ち込んできた人。
ご主人の周りを見渡してもそういう人がたくさんいました。
定年になり一部の人はそのまま仕事を継続して65歳くらいまでは仕事を続けます。
仕事内容が同じなのに、どうして給与がこんなに下がるのかと疑問に思いながらもです。
また、現役時代に趣味を生きがいとしていた人は「やっと自分の時間ができた。よーし今までやれなかったことを思い存分やるぞ。」と定年・リタイアをポジティブに受け取ります。
それぞれが、自分の拠り所に沿った人生を選択します。
でも、待ってください。
仕事は、継続できたとしても65歳、さらに可能であっても70歳くらいが限界です。たとえ取締役になったとしても一生その仕事を続けるわけにはいきません。
いずれ、仕事から離れる(失う)日が来ます。
その時、あなたならどうしますか。
やはり趣味が必要か?
ご主人も、現役時代に「仕事じゃなくて趣味に没頭している奴は、尊敬できないね」などと言っていたことを思い出したようです。
「あー、俺も趣味作っておけばよかった」などと反省しています。
猿じゃないんだから※。
*昔、反省だけなら猿でもできるってコマーシャルがありました。
定年・リタイア後にやりたいことを見つけるのは簡単ではない
今まで、仕事だけを拠り所にして来た人は、これからどうすればいいのでしょうか。
ご主人も考えました。
自分が好きなことは、母親が一番知っているから、母親に聞いて見るのが一番だというけれど、母親はもうこの世にはいないんだった。
そこで、ご主人決めたようです。
無理に拠り所を探すことは諦めて、今のまま暮らす。
会社に行く必要もない。
朝、何時に起きても誰も文句を言わない。
明るくなったら起きて、お腹が空いたら食べて、暗くなったら寝る。
これって、ある意味、生きる拠り所になっているんじゃないかって。
それができるのは今しかない。
ちょっと寂しい気がしないでもないですが、ご主人の意見も、もっともかなと思いますね。
だって、僕がそうだもの。
僕は趣味もなければご飯も食べない、ただチェストの上に座っているだけ。
でも、不幸だなんて感じたことはないですよ。原始人でもないし。
まとめ:周りを気にするのではなく、自分が納得する答えを見つけるのが一番
定年になり、呆然とするのではなく「自由な時間を手に入れた、やりたかったことがこれから始まる」と思うこと。
それって素敵じゃないですか。
無理に、趣味を見つけたりする必要もない。
一日中寝てたっていい(もっとも寝るにも体力が必要なのでそれほど寝られませんが・・・)。
面白そうなテレビを観て過ごしてもいい。
サブスクや、人の少ない平日に劇場で映画を観たっていい。
美味しいご飯のある店を探しにいってもいい。
ネットで検索すると定年後は「ボランティアをするのがいい」とか、趣味を見つけて、「楽器演奏」や「観劇」、「読書」に浸るのがいいとか、「いっそ起業すれば好きなことを満喫できる」などと余計なアドヴァイスに溢れています。
こんな言葉に惑わされずに定年後は自由な時間を自由に使えばいいんじゃないかって
これがご主人が見つけた答えみたいです。
では、また。