言葉によって考え方が変わる
サピア・ウオーフの仮説をご存知だろうか。
異なる言語を使うと、認識する世界観や概念のあり方が変化するという仮説だ。
難しそうな話だが、人は言語によって物事を考えるのだから言葉が変われば認識も変わるのではないかという説だ。
もしも世界の人間が同じ言葉を使っていたとしたら多様性は生まれず、つまらない世界になっていたということだ。
具体的な例では、欧米には肩こりという日本語に対応する言葉がないらしい、なので欧米人は肩こりを感じる人はいないそうだ。
ただ、一旦日本語の肩こりを覚えると、実際に肩がこるというギャグのような話である。
日本語には未来形がない
また、英語には未来形があるが日本語には未来形がないそうだ。
なので、日本人は未来がどうなるかわからないので、何があっても良いように、日々せっせと貯蓄をし、アメリカ人は未来に備えて今の自分を高めるために日々お金を使うのだそうだ。
ちょっと?な解説だが、ネットで見つけたコメントだ。
ただ、日本語に未来形がないって変じゃない?
じゃあ日本語で未来のことは表現できない?そんなことはないだろう。
でも未来形はないんだそうだ。
過去:昨日、私は図書館に行きました。
現在:私はいつも図書館に行きます。
未来:私は明日、図書館に行きます。
現在も未来も、動詞の「行く」は同じ「行きます」なので活用は変らないため未来形がないということらしい。一方、過去は「行きました」になるので、日本語は現在形と過去形(否現在形)をもつ言葉だそうだ。
余談だが、中国語やインドネシア語には時制そのものがなく、今よりも前のことや後のことは文章の中に今日、昨日、明日などの時間を表す言葉を入れて表現するらしい。
英語の時制は難かしい
まあ、わかったような、わからないような。僕らはそんなことは考えずに自然に話をしているのだからどうでもいいような気もするが。
ただ英語に関しては僕らは学校の授業でこの時制を
現在、過去、未来 (渡辺真知子か? わからない人はネットで調べて)
さらに現在完了、過去完了、未来完了、現在進行形、過去進行形、未来進行形
ついでに 現在完了進行形、過去完了進行形、未来完了進行形
として学んできた。
しかし、実際には現在完了、過去完了、未来完了形とそれぞれの進行形は普段の生活ではあまり使われておらず使用頻度は極端に少ないそうだ。
ただ、受験英語には必ず出るので学習のカリキュラムから外せないのだそうだ。
学校の英文法の勉強が嫌いになるのも無理はないか。
映画「メッセージ」
話がだいぶ逸れてしまったが、話をサピア・ウオーフの仮説に戻すと
この説は、映画「メッセージ」のなかで出てきた言葉だ。
ある日突然、地球上に飛翔体が現れ、異星人とコンタクトを取るために選ばれたのが言語学者ののルイーズ。
色々な方法で会話を試みるが、地球上の言語とは全く異なり、文字と直接体の動きを示すことでやりとりが成立する。
結局この異星人が使う言葉は時間の概念そのものがない、時制がないのではなく時間軸そのものが存在しない、彼らと会話で交わるうちに主人公の言語学者は自分の未来を知る能力を得る。
言葉をマスターした結果、直列した時間の概念を超越した認識を手に入れたのだ。
映画「メッセージ」予告映像 YouTubeより
英語をマスターすると考え方が変わる?
そう思うと、少なくとも英語は未知の言語ではないので学習のハードルが下がった様な気がするのだが、それほど単純ではないか。
そして、もしも僕が英語を完全にマスターしたら今とは違う考え方、認識を持つだろうか。
実際、日本語で話しをする時と英語で話しをする時で人格が全く変わる人がいるらしい。
試してみたいものだ。