明日は、友人Kの命日だ。
早いものであれからもう2年が経つ。
今日、1日早くKの墓へ参って来た。
家から車で一時間半ほどの距離だ。
カーナビを頼りに行ったが、どうも去年の道と違うような気がした。「去年は確かこの信号を左折したような気がしたが・・・」と独り言を言ってみたが、ナビの指示通り直進した。
確かに、目的の霊園には着いたが、どうも昨年より時間がかかったように思う。
途中、目的地を間違えてナビに登録してしまったのかとも思ったが、なんのことはない、カーナビは主道を案内していたのだ。
以前、「今のカーナビは細い道を案内して困る」というような記事を見たことがあるが、今回はその逆。
機械に行動を左右されているようで、なんとも情けない気がしたがこれも時代なのか。
いかんいかん、最近はよく話が横道にそれる。老化の兆候か。
話を元に戻すが
命日の前の日に行ったのには訳がある。
初めは命日に行こうかと考えていたが、きっと命日にはご家族が来られるのではないかと思ったからだ。
霊園で逢うのは特に問題はないのだが、ご家族にとって大切な日を邪魔したくないとの気持ちからだ。
Kくんの訃報を意外な形で聞いてからもう2年(さっきも言ったか。これも老化現象としてご容赦ください。)
当時の感情は、同級生の死というものがこれほど自分にとって大きいのかだった。
その数年前には自分の両親をなくしていたが、これほどの感情は湧いてこなかった。
年齢的な要因が大きいのだと思うが、自分と同じ歳で逝くというのが大きなショックだった。
今、僕は67歳になり、まだ仕事をしている。
知り合いの会社の手伝いをしている。
仕事の依頼があった時は、もうリアタイアしたのだからと断っていた。
それが仕事をするように決めたのはKくんのことがあったからだ。
彼が僕の背中を押してくれたように思っている。
そう、まだ生きているのだから出来る事を、出来る時にやろうと思わせてくれた。
今年も、彼の墓前で誓って来た。
今、できることを、できるときにやろうと。