英語ができないことで、ひどく傷ついたことがありますか?
学校で長いこと英語の勉強をしていたのに一言も英語で話すことができなくで情けない気持ちになったことはありませんか?
この記事では、僕が経験したこの二つのことから、60歳を過ぎた今まも英語を勉強しているワケについて紹介します。
今も英語の学習を続けているワケ
僕は60歳を過ぎた今も英語の学習を続けています。
しかしずっと以前に決めた目標からはすでに30年以上経過してしまっていて、当時決めた「英語をネイネィブ並みにマスターする」を達成することは諦めました。
しかし、英語の学習を続けることは諦めていません。
幾つになっても、英語を話すことで世界が広がると確信しているからです。
友人の策略で思い知ったこと
僕がまだ20代前半だった頃、友人の誘いでオーストラリア人の女性と秩父の田舎を巡る旅をしたことがあリます。
その女性は研究者として日本に招聘されていて僕の友人が京都旅行していた際に知り合ったのだそうです。
その後、日本の田舎を尋ねたいということで秩父を案内することにしたので一緒に行かないかと友人から連絡がありました。
僕の車目当て(いわゆるアッシー君)だということはすぐにわかりましたが、面白そうなので誘いに乗ることにしました。
友人と彼の彼女、オーストラリア人の女性(仮にNさんと呼ぶ)、そして僕の4人で秩父の田舎をドライブし、その夜は民宿に宿泊することになりました。
友人と彼の彼女はともに商社勤務で英語はペラペラです。
僕はといえば英語に興味はあったものの会話能力は全くのゼロでした。
沈黙の30分
4人でいるときは友人と彼の彼女がNさんと会話しているのを聞いていれば済んだのですが、民宿に着くなり、その二人が風呂に行くと言って部屋を出て行きました。
混浴ではなかったので二人で行く必然性はなかったのですが、結果として部屋には僕とNさんが残されました。
Nさんは英語で何か話しかけてきますが、僕は何も答えることができません。
時間にしたら30分程度だったと思いますが、僕には沈黙の時間が永遠に続くのではないかと思えました。
その気まずさは今思い出しても冷や汗ものです。
目標から30年以上が過ぎたが・・・
外国語の学習にはある程度悔しさが必要だと思います。
海外に行って自分の意思が伝わらなかった。
言葉ができなかったことで、情けない思いをしたなどです。
僕はこの経験から「30歳までに英語をネイネィブ並みに使いこなせるようになる」と誓いました。
しかし、現実はそう甘くはなく、悔しさも日を追うごとに薄れ、その期限から30年以上経ってしまいました。
今は、かろうじて旅行で使える程度の英語力はつけましたが、まだまだ英語を自由に使いこなすレベルには達していません。
反 省
いくらなんでも30年以上約束の期限から遅れてしまったのはどうしてだろうか?
色々考えた結果、理由がわかりました。
原因は達成目標に期限を設けた事です。
一見、目標を達成するための期限を設けることは正しいように感じます。
しかし、僕の場合、30歳までに英語をものにすると決めたことが、そもそもの間違いだったと思います。
20代前半で決めたことで、30歳までにはまだ十分時間があると思いこんだ結果、学習を先送りしていました。
期限を設けると言うことは今すぐにやらなくても良いと言う免罪符を自分に与えてしまったのです。
何かを始めたりするのは期限を決めては駄目です。
すぐにやる。
一日でも早く目標を達成すると決めることが肝心なのだと思います。
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