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【リタイア後の生活】定年後が不安なあなたに、僕の一日を紹介します

リタイアしてからもう少しで2年になる。

コロナ禍の影響もあってか、ほとんど人と会うこともないのだが、たまに昔の同僚にあったりすると必ず聞かれることがある。

「毎日、何してるの?」

僕が63歳でリタイアしてから再就職もしないで無職のままでいるからだ。

聞かれる度に「特に何もしていないよ。毎日平々凡々に暮らしているだけだよ」と答えてはいる。

”早朝に起きて弁当をつくり、自分の居場所へ行き、天気がよければ庭の草取りか菜園の手入れ、雨の日には自分の居場所でブログを書いたり映画を見たり本を読んだりして文字通り晴耕雨読の生活を実践している。
夕方5時を目安に家に戻り、今まで考えられなかった時間に夕食を摂り、風呂に入って就寝、この繰り返しが定年ジジイの生活だ。”

定年を扱った本や、映画では定年後は時間が過ぎるのが極端に遅く感じるとあり、実際定年前にはどうしたものかと不安に思っていた。

平々凡々、確かにそうだが、なぜか一日がすごく短いと感じている。

この記事では定年して無職の人は毎日何をしているのだろうかと興味を持っている人に僕の定年生活を紹介する。

05:30 起床/朝は弁当づくりでウオーミングアップ


毎日ほぼ同じ時刻、5時半には起床している。

起床時刻は現役時代とほぼ同じだ。

違うのは睡眠時間、リタイア後は午後10時か11時には床に入っているので現役時代の1.5倍ほど睡眠時間を摂っている。

睡眠時間が足りているということもあるが、毎朝目覚まし時計なしで同じ時刻に目が醒める。

年をとると朝が早い理由として「年寄りは朝まで生きているかどうか気になるので早起きをしてしまうのだ」という話を聞いたことがあるが、まだこの心境には至ってはいない。

だが、年をとると必要以上に長い時間寝ることも難しくなるのは確かなようだ。
(若い頃は昼ごろまで寝られたのに・・・)

ダイエット
余談だが、睡眠時間を充分摂るようになったことで体重がおよそ6Kg減った。
睡眠時間と減量の話はよく聞くことだが、実際は夕食後にお菓子を食べなくなったことの影響が大きいように思う。
現役時代は、夕食を、それもかなり遅い時間に摂ってからの”お茶とお菓子”が習慣になっていた。
どんなに遅い時間でもだ。
食べてからすぐに寝るなんてことも普通だった。

 

起床後は寝室やリビングのカーテンを開けたりして足腰の感覚が平常になるのを待つ。

何だか奇妙な表現だが、事実なので仕方がない。

これも現役時代と大きく変わった点だ。

起き抜け直後の動きは極端に悪い、腰痛や視力の低下が収まるのを待ち(ジジイだ)、弁当づくりの準備に入る。

米2合を炊飯器にかけ、研ぎ汁は庭の野菜に与える。

冬の季節は菜園に出るのも億劫になるのだが、冷気に当たることで完全に目が覚めるという効果もある。

冷蔵庫の中から食材を選び、茹で、焼き、炒めておかずを用意する。

夏であれば菜園のナスやシシトウを収穫しておかずに加える

産地直送、超新鮮だ

ご飯は、白米がメインだが、ホタテの貝柱や他の具材が手に入ったときは炊き込みご飯にしたりもする。

炊き込みご飯があるとおかずは最小限でも何とかなる。


基本、前日にタイマーをセットした予約炊飯をすることはない。

朝のリズムの確保と炊き込みご飯の時に具材が傷むのを防ぐためだ。

とにかく、弁当づくりは朝のウオーミングアップにちょうどいいのだ。

この炊き込みご飯はタサン志麻さんのレシピを参考に、塩昆布とホタテの貝柱だけで作っている。手間なく簡単に作れる。


弁当が出来上がるのが7時少し前

その後、朝食。

朝食の食卓には、小ぶりのデュラレックスのコップ1杯の無塩トマトジュース、ご飯と納豆、海苔、そして弁当づくりで余ったおかずが載る。

これが定番。


味噌汁も欲しいところだが、「塩分は極力抑えたいので味噌汁は作らない」とは妻の言葉。

ただ作るのが面倒なだけだろう。

08:30 夢幻庵にこもる


朝食後は歯磨きと髭剃りを済ませ自分の居場所「夢幻庵」に出勤(?)する。

仕事はしていないが、出勤の習慣は続けたいのであくまでも出勤ということにしている。

もっとも通勤時間はたった3分ほどだ。

髭剃り
一時期、リタイアして人とも会うことがないのだからと髭剃りをやめた時期があった。
ちょっと、格好もいいんじゃないかと思っていたが、よくよく鏡を見るとただの汚ないジジイだ。
雑誌で見かけるフランス人のシニアのようにはどう考えてもなれないことに気づいたので、毎日の髭剃りはすることにした。

 

「夢幻庵」はすでに他界した両親の家の一部をリタイアする少し前にDIYでリフォームした。

リタイア後を考えてのことだ。

この「夢幻庵」という名称は当時、仕事仲間と話をしているときに出まかせで言ったネーミングを営業部門の女性が覚えていていたのでそのまま居場所の名前にした。

最初は「無限庵」のつもりでいたのだが、「夢幻庵」の方が夢と幻を追いかける定年ジジイの居場所にちょうどいいと思い、この漢字を充ててみた。

いずれこの居場所に”夢幻庵”の看板を掛けようかと考えている。

暇人である。

 

ここは以前は畳の部屋だったのをDIYで木製の床に張り替えた。PC、WI-FI、モニター、プリンターを常備しているのでオフィスの機能を持っている(仕事をしていないので必要ないが・・・)。

 

08:40 夢幻庵での一日はコーヒーから始まる


この「夢幻庵」で何をするのか。

まずは、朝一番にコーヒーを淹れる。

今では骨董品の風格さえ醸し出している学生時代から使っているミルで一人分のコーヒー豆を挽く。

コーヒー豆は以前は”丸山コーヒー”と決めていたが最近は格安のコーヒー豆をスーパーで見つけ常備している(貧乏を味わっている)。

最初にカップ一杯分の20%ほどのお湯を注ぐ、数分蒸らした後、更に20%分のお湯をゆっくり注ぎ、フィルターを通ったところで残りの60%のお湯を一気に注ぐと朝の一杯の完成だ

カフェの雰囲気が欲しかったのでDIYでコーヒーカウンターも作った。

 

コーヒーを淹れ終わったら、少し前に電源を入れて立ち上げておいたPCで、コーヒーを飲みながらブログをチェック。

 

 

09:00 ブログのアクセスをチェック


相変わらずアクセス数が少ないが、当然だと理解している。

誰もが知りたい情報を載せているわけではないので、世の中の人たちがこのブログにやってくることはないのだろう。

「SEOで重要なのはキーワードの選択と中身だ」ということは重々承知しているが、なかなかうまくはいかない。


知人にメールで情報を流してもその時は幾らかアクセスが増えるが、その後はまた元に戻る。

当然といえば当然だ。

他人の日記のような面白くもないブログを誰が好き好んで見るものか(やけっぱち)。

と、わかっているのでブログはボケ防止くらいの気持ちで続けていこと思っている。

知人へのメール送付もやめることにした。

はっきり言って迷惑だろうから。

でも見て欲しいなあという気持ちもないことはない(うん、二重否定文?日本語は難しい)。

ブログでアクセス数が多い人は全体の1割
新たなブログの 約90%が一年以内に消えていくらしい。「よーし、ブログを立ち上げて世の中のみんなに僕(私)のブログを見てもらおう」と思って始めても、ほとんどがアクセス数が伸びずに途中で断念しているそうだ。
中には、僕はブログで月〇○〇万円稼いでますなんて記事もあるが、本当だろか?信じられない。きっと嘘だ(なげやり)。

10:00 晴耕雨読


コーヒーを飲みながらのブログチェックが終わったら、天気が良い日は作業服に着替えて、庭の雑草取りや、菜園の手入れをする。

菜園には今の季節、トウモロコシと水ナス、シシトウ、万願寺唐辛子、そしてブルーベリーが育っている

ジャガイモと玉ねぎ、らっきょはすでに収穫済だ。

この3つの野菜は今年は大豊作、今までにないほどよくできた、ジャガイモと玉ねぎは早速定番のポテトサラダに、らっきょは瓶に入れ酢漬けに仕立てた。

最近はジャガイモ生地で作るピザのレシピを手に入れたので試してみたが。

予想以上に美味である。

フライパンだけで作れるのでとても簡単にピザを作ることができるが3日続けると流石に飽きる。

左から 梅のらっきょ酢漬け、梅サワー、らっきょの酢漬け。去年は取りきれないほどだったのが今年の梅は大凶作でここにあるのが全て。

フライパンでできるジャガイモ生地のピザ。とても簡単にできるが美味である。

庭の畑のことを菜園と書いたが、この場所のことを僕は家庭菜園という呼び方はせず、ベジタブルガーデンと呼んでいる

この呼び名、何となく格好いい。

それだけの理由。

ただ、その名にふさわしい場所にしようとは思っている。

妻はキッチンガーデンと呼びたいらしいがどうでもいいことだ。

ついでに言っておくと、妻は以前は庭に薔薇やハーブなどを植え、花に熱中していた。

最近では、何を思ったのか、やっぱり食べられる野菜がいいと、花には全く興味を示さず、食べられる野菜の栽培に夢中だ。

特に、イチゴやブルーベリー、今年は不作だった梅や杏を使ってジャムを作るのが至福の時間と考えているようだ

なので、彼女がジャムを作っている時は信じられないくらい機嫌がいい。

ずっとジャムづくりをして入ればいいのにと思ったりする。

話がそれてしまったが、このように天気が良い日は庭に出て作業。雨の日は部屋でブログを書いたり、サブスクの映画を見たりしている。

晴耕雨読である。

梅の不作
昨年は、採れ過ぎるほどの収穫があった梅の実が今年は全くの不作。
木の枝を見上げてもほんの数個がついているだけ。
それでも、できるだけ集めた総重量が1Kg、昨年の1/10程度だ。
春にはあれほど満開の花をつけていたのにどうしてかと思っていたが、理由が判明した。テレビニュースで今年は低温が原因でミツバチの活動が活発でなかったために梅の花の受粉が充分でなかったらしい。
蜂が蜜を集め、蜂が花粉を運び受粉する。自然はつながっているんだなとつくづく感じた。

 

(8:30−9:30)週二回のウオーキング


リタイアすると運動不足になる。

現役時代はフィットネスクラブにも通っていたし、自動車通勤ではあったが駐車場から事務所まで歩くだけでもそこそこの運動になっていた。

リタイアしてからはほとんど運動らしい運動はしていないし、ガーデニングの作業以外は椅子に座ったままだ。

これではいけないと毎週のルーティー ンにウォーキングを取り入れた。

毎週火曜日と金曜日がゴミの収集日、これを利用してゴミステーションに行きながらそのままウオーキングをするようにした。

幸い、ゴミステーションの先は河川沿いの遊歩道になっているので4Kmほどのウオーキングを週2回。

これを定番にすることにした。

このくらいの頻度では少ない気もするが徐々に回数を増やしていこうと思う

 

12:00 弁当のおかげで一日中居場所に籠もれる


昼に弁当があるおかげで自分の居場所に夕方まで籠もることができている。

天気が良く、妻が機嫌の良い時は一緒に外で弁当を食べることもあるが、稀である

弁当づくりはリタイアしてから始めたわけではなく現役の頃から続けている。

ずっと昔に遊び半分で弁当を作ってみたところ、朝のリズムを整えるのに良いことを発見した。

会社では、社員食堂に行く煩わしさもなく、いいことづくめだったので、その習慣を続けているということだ。

ただ、弁当を作っているのは僕ではなく、妻が”弁当は自分が作っている”と主張している。

僕はご飯を炊き、ゆで卵や卵焼きを作ったり、豚肉の生姜焼きなどのおかずを作っているだけで

野菜の準備と弁当箱に詰めているのは自分だからというのが理由らしい。

僕が起きてからずっと後に起き出してきてもそうなのだそうだ。

まあ、それで機嫌がいいのであればそういうことにしておこう。

”僕の家では弁当は毎日妻が作っている。”

13:00〜 草むしり


雨が降るとすぐに雑草が生えてくる。

この季節になると草むしりが日課になる。

草むしりは心を落ち着かせるのですきだ、何もかも忘れて草取りに集中する時間がすきだという人がいる。

だがそれは嘘だろう。

草むしりが楽しいわけがない。

自然に増えてしまうので仕方なく草むしりをするのだ。

苦労して草を取ってもまたしばらくすると草が生えてくるがそれは自然なこと。

髪の毛だって散髪してもまた伸びたら切るでしょう。

それと同じ。

ずっと髪が伸びなければ困ることもあるでしょう。

えっ、伸びる髪があるだけいいって。

はい、白いですが髪はまだたくさんあります。

そんなことはどうでもいいんですが、草むしりは夏のメインイベントになっていて、結構な手間だ。


ここで一言。

草むしりって、草をむしることだね。

文字通りだ。

では草刈と草むしりって違う?

実際、僕の草取りは機械で刈っているので草むしりではなくて草刈なんだが・・・

だからここでいう草を取る行為は草むしりではなくて草刈が正しのだろうか?

ずっと考えていた。

結論はそんなくだらないことはどっちでもいいということだろう。

 

なので、これからも草を取る作業は草むしりと表現することにする。

 

ねえ、暇人でしょ

 

 

17:30 夕食

草むしりの後は夕飯を食べて寝るだけ

最近は「少し料理に凝ってみようかな」なんて気になったが、まだパスタくらいしかまともにできるものがない。

もう少し頑張ってみよう。

僕のワンパターン料理、新キャベツのパスタ。これが結構評判がいい(自画自賛)

 

こちらはトマト味のパスタ。材料は、にんにく、ベーコン、葉タマネギ、トマトソースとオリーブオイルのみ。葉タマネギを美味しくいただくにはこの調理法が一番だと思う。

 

現役時代と圧倒的に違うのが夕飯の時間。

今は6時前には食べ終わっている。

以前だったらまだ会社にいる時間じゃないか。

22:00 就寝


食後は風呂に入ったり、本読んだり、ネットサーフィンしたりで10時には就寝。

時折、9時前にベッドに入ることもある。

小学生か!

テレビは見たい番組がないのとコマーシャルが多すぎるので見ない。

とまあ、こんな感じで文字通り平々凡々の一日を繰り返しています。

 

なお、これは大雑把な一日の過ごし方で、これ以外にもやること(やらなければいけないこと)は意外と沢山ある。

一日を短く感じるのはそのせいかもしれない。