老害。定年を間近にしたあたりからこの言葉を頻繁に聞くようになった。
実際には、定年の頃にこの言葉が広まったわけではなく、僕の意識のせいで気づくようになったのだと思う。
人は見たいものしか見ないということだ。
自分が家を新築しようと思った時、周りで新築工事が多いことに気づいたり、自分が車を買おうと考えた時には、なぜか今まで気にしていなかった新車の多さに気づくのと同じ理屈だ。
高齢者雇用で老害が頻発するかも
60歳の定年後も継続しての勤務が当たり前になりつつある現在、職場で老害が頻発するのではないかと心配するのは余計なお世話だろうか。
僕も60歳で定年してから3年間は嘱託として業務を続けて来た。
その中で自分では気づかないうちに若い社員にいらぬプレッシャーを与えていたのではないかという事があった。
それを老害と表現するかどうかは議論の余地があると思っているが、本人の意識していないところで若手に負担をかけていることは多々あるように思う。
定年後に継続勤務している方、定年間近な方々もこの点に気をつけてほしいと思う。
僕の体験、ある会議での出来事
販売部門の幹部と新製品の打ち合わせ会議をしていた時のことだ。
以前から営業から要望の出ていた製品について、僕はすぐに製品化しようと提案したのだが商品企画部門の若手から「勝手に軽々しくやるって営業に返事をしないでください」と釘を刺された。
普段はルーチン通りに仕事を進めるおとなしいタイプの担当者からの強い口調に驚きを隠せなかったが、ふと事業部トップの承認を得るための会議が思い浮かんだ。
新製品の決済申請は彼の担当だ。
恐らく今までトップへの説明に苦労して来たのだと推測した。
僕はその会議に出席していなかったので、彼からすれば「好き勝手に言ってるけど、決済会議で色々言われるのはこっちだ、出席もしないのに勝手なこと言うな!」という気持ちだったのだろう。
それ以降、僕は営業部門との打合せや会議の全てに出席することをやめた。
もちろん、僕の発言が間違っていたとは今でも思っていない。
ただその時の僕のポジションであれば事業部のトップとは、ほぼ対等に話ができるが、彼ら若手にとってトップは上司のまたその上の上司。
その点の認識が欠けていた。
これが老害というのかどうかはわからないが、先が見えている人間とこれから先何十年も会社組織に残る人間の意識の差であることは間違いないだろう。
ベテラン社員は若手の教育に集中すべき
今も会社組織に属している年長の皆さん。
僕自身の反省から言痛いと思う。
会社という世界で経験豊富な諸兄は、若手を育てる努力を惜しみなくしてほしい。
それ以外は、あなたたちベテランが会社に残る意味はないのだから。