昨晩、会社員時代の後輩2人と食事をした。
僕がリタイアしてから一年強だ。
コロナ禍の影響もありしばらく誰とも会わずにいた。
新鮮な気落ちでの再会だと思っていたが、約束の店には懐かしいというより見慣れた2人がいた。
リタイアした実感がない
ずっと感じていたことだが、リタイアしてもまだ会社員人生を終了し、次のステージに移ったという気がしない。
彼らともまだ一緒に仕事をしているような錯覚さえ感じた。
職を離れる少し前にリモートワークを経験していたのが原因だろうか。
未だに家で仕事を続けているような気分でいるのかもしれない。
彼らと会話していると自然と話題は仕事のことに。
3人の共通の話題は仕事なので、自然の流れなのだが、話をするうちに彼らの現在の状況が見えてきた。
仕事が共通の話題であるのは今の内だろう。
その点は少し寂しさを感じる。
ガラスの家の住人はむやみに石を投げるべきではない
僕は”ガラスの家に住んでいる”ことを意識しているので、努めてネガティブなコメントを避けたが会社は変換期で2人とも苦労しているらしい。
話を続けながら次第に彼らと僕の立場の違い、当たり前だが僕がリタイアしているという事実に気づいた。
「毎日何をしている?」「もう仕事はしないのか?」と聞かれるたびに、明確な返答ができない自分がいた。
もちろん、毎日の生活はやるべきことを決めているし、仕事をする予定もない。
今の生活は心地良く、それなりに満足しているが、「リタイアしたらこれがしたかったんだ!」というものがない。
先日見たネットニュースによると、定年後に生きがいをもてるものを持つ条件はが3つあるという。
第1は、「そのためになら少しくらいカネを使っても惜しい」と思わないもの。
第2は、「それをやっていれば時間を忘れる」もの。
第3は、「そのことについて、20~30分は講釈できる」こと。上記は「定年後を楽しむ人楽しめない人」金田義郎 氏著 から
こうした条件が揃った課題を持っていることが、生きがいを持っていると言えるらしいのだ。
うーん、それって僕の場合なんだろうか?
彼らと別れた後、ずっと考えている。
2021年11月6日